記念展の絵


七月に行われる教室の第35記念展覧会の絵を描き始めた。
5年に一回、北茨城市の(茨城県天心記念五浦美術館)で開催。
記念展にあわせて画集も作る。
その写真撮影が5月末にありそれまでに絵を完成しなければならない。
果たして間に合うか・・・
F130号に下地になる和紙を取り合えず描きこむ。
ここからが本番スタート、ガンバロウ

春はオープンで

うららかな春の気候に誘われ、今年初めててオープンで出かけた。
ちょっと気になっていた場所を散策。


十王ダムより十王パノラマ公園を眺める

里美中学校から山の手へ入った溜池。
前に来た時は桜の蕾もまだまだ膨らんでいない頃。
気になってた風景です。
まだ少し満開には早かったのですが柳の緑、桜のピンク
絵になる風景でした。

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泉福寺の桜はまだでした。途中に鯉のぼりが泳いでました。

花貫ダム下にある桜公園

目白が桜の中に潜んでいました

心身共に疲れました

過激な日程をこなしました。
8日間で片道430キロの2往復です。
実は大事な親友のを亡くしました。

5年前、妻が亡くなった事を知らせた数日後
彼の奥様から病名を知らされ愕然としました。
悪性脳腫瘍で手術をしたと・・・。

翌年帰省した時にお見舞いにとの旨を伝えました。
彼は誰とも会いたくないらしいので知らんぷりして来たら?
との奥様の話でした。
私の目の前に居たのは半身麻痺、言葉が思うように出来ない彼でした。
でも笑顔と優しさは何時もの彼でした。

言葉がなかなか出てこないもどかしさも有りましたが
意思疎通は出来ました。
たまには携帯でメールのやり取りをしました。
五年間何度か帰省するたびに彼を尋ねました。
一昨年の高校時代の同期会にも参加することも出来ました。

先日実家に用があり戻った次の日に会いに行きました。
既に彼は目も見えなくなり荒い息になり意識もなくなり横たわってました。
二日後自分の家に帰る用意をしてた所、彼の奥様から今朝亡くなりました。
との連絡。
用意もそこそこ彼の所へ。

奥様の話では二三度首を降り一筋の涙が頬を伝わったとのことでした。
多分奥様への感謝の涙だったのかも知れません。
私を待っててくれたかのように旅立ちました。

一旦盛岡から自宅へ帰り、用を済ませ夜半まで頼まれた弔辞を書き
次の日又トンボ帰り。
お通夜、火葬、葬儀を済ませました。
弔辞は泪なしでは語れませんでした。大事な友の死はかなり堪えます。

心身ともに疲れがピークです。

写真は実家に残っていた私の小学校の入学式にとった物です。

氷結は・・・

数日前に袋田の滝が全面氷結のニュースを聞き行ってきました。
残念ながらやや溶けかかっていましたが雰囲気は感じてきました。
震災の風評もあり一時は観光客がまばらだったのですが、他県ナンバーの車が多く安心しました。